ペットを失うということ—“家族”の喪失と残された家族の再構築—

こんにちは。K3のさかもとくみです。
今日は私も大好きなペットのお話をしたいと思います。

ペットは「愛玩動物(あいがんどうぶつ)」と呼ばれてきましたが,近年では「伴侶動物(はんりょどうぶつ)」や「コンパニオンアニマル」という言葉も使われるようになってきました。

飼い主の皆さんはペットを”ただ可愛いだけの存在”ではなく,”人生を共に歩む相棒”であったり”家族の一員”として,日々あたたかい関係を築いているのではないでしょうか。

ペットとしては犬や猫を飼っている人が最も多く,その他にも金魚や熱帯魚,カメや小鳥,うさぎなど色々な動物が家庭で飼われていることでしょう。
飼い主さんの中には,ペットを時に我が子のように,また時には恋人やきょうだいのように感じながら,深い絆を育んでいる方も多いと思います。


一匹で何役もこなしてくれている大切なペットですが,生涯を共にする上でどうしても避けられない”看取るとき”が訪れますね。
この”看取り”のときは本当にさまざまな形で訪れますから,悲しみのあり方もまた人の数だけ異なるのだろうと思います。

それぞれの悲しみ,そして家族の形


ペットの最期のときはほんとうに様々な形で訪れます。家族のメンバーそれぞれがさらされる喪失や感じる悲しみも,一人一人異なることでしょう。
いつか来るペットの最期のときは,私たち飼い主に多くのことを考えさせ,感じさせてくれます。

ペットがいる間は,その存在を含めた上で家族関係のバランスが自然と保たれています。
ペットは言葉を超えて家族を繋いでくれたり,自室に閉じこもりがちな思春期の子どもをリビングに引き寄せてくれるような存在でもあります。

けれども,そのペットが最期を迎えることで,家族のバランスが大きく変化することがあります。
場合によっては,ペットがいることで保たれていた家族の均衡が,一時的に大きく崩れるかもしれません。

悲しみの受け止め方や表し方は人それぞれで,正しいとか冷たいとかはないのだと思います。長い時間,悲しみを抱え続ける人もいますし,立ち止まらずに日常を歩き続けることで悲しみを癒そうとする人もいます。
ただ,その違いのせいで時には理解し合えないような感覚を覚え,家族の関係性を立て直すためにエネルギーを必要とすることが生じてくる場合もあります。

家族であっても”共感”を求めすぎるとうまくいかないこともあります。
それぞれがペットの喪失を自分なりに受け止めるしかなく,人は誰もが”孤独”な存在であり,周囲に自分の辛さを理解してほしいと思うのと同じように,相手もまたその人なりの悲しみを抱えているのだと知る必要があるのでしょう。

ペットの”位置付け”が私たちに問いかけること

私たちの社会では,法律のうえでペットは「動産」,つまり物として扱われています。
ペットは購入したり,譲り受けたりして迎え入れる存在です。
一方で,人をお金で買うことは犯罪で,”家族”をお金で買うことは考えられません。
ここにすでに,人とペットとの扱いの違いが表れています。

もう一つ大きな違いとして「安楽死」のことがあります。
日本では人間の”安楽死”は認められていませんが,ペットにはそれが許されています。
このように私たちがペットのことを”家族のように”大切に思っていても,その命の位置付けや価値付けは,最終的には飼い主に委ねられています。

ドイツでは「ペットは物ではない」と法に明記されているそうです。
残念ながら日本では,まだそこまでペットについての認識は成熟していないと言えるでしょう。
つまり,私たちは自分なりに模索しながら,ペットが病気になったり年老いていくこと,またペットロスという深い悲しみを受け入れていかなければならないのです。
これは自分なりの死生観を作り上げていく,本当に大変な作業です。

心を支えるために

一人で抱えきれないときや,家族の受け止めに食い違いがあってお互いに支え合えないときなどには,是非,専門家の力を借りながら,ペットの病気や老いと向き合ったり,ペットロスという道を一歩一歩歩み抜けてほしいと思います。

必要なときには,私たち心理士に相談することを選択肢の一つに入れていただけると嬉しいです。